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[No.5822] 明治村 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/13(Mon) 17:02
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明治村
画像サイズ: 618×370 (58kB)
明治村には何度か行ったのです。

いまから十数年前の夏
鹿児島で学会があり、台風が近づいてきたので
学会は最終日の行事をとりやめ
参加者は飛行機の飛ぶうち、できるだけ早くお帰りくださいという配慮でした。

そこで
鹿児島の帰りに名古屋で一泊して
明治村を見学したのでした。

明治村はなかなか見所も多く、明治の建築や鉄道や電車など
当時の文化や日本の技術レベルをふりかえる勉強にもなります。

まず
入口です。
 正門(第八高等学校正門)


[No.5823] Re: 明治村 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/15(Wed) 04:43
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Re: 明治村
画像サイズ: 512×384 (51kB)
> 明治村はなかなか見所も多く、明治の建築や鉄道や電車など
> 当時の文化や日本の技術レベルをふりかえる勉強にもなります。

>  正門(第八高等学校正門)

その脇の入口から入ります。

ちょうど
明治萬国博覧会という企画展を開催していました。


[No.5824] Re: 明治村 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/17(Fri) 05:15
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Re: 明治村
画像サイズ: 566×386 (54kB)
神戸市にあった大井牛肉店です。

明治20(1887)年ころ
牛肉販売と牛鍋の店として建てたものです。

ここで、牛鍋を食べることができます。 文明開化の味


[No.5825] 三重県庁舎 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/19(Sun) 15:58
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三重県庁舎
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これは三重県庁舎です。

県令岩村定高により計画され、明治12(1879)年に完成。
設計者は大工清水義八です。


[No.5826] Re: 三重県庁舎 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/19(Sun) 15:59
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Re: 三重県庁舎
画像サイズ: 512×384 (26kB)
> これは三重県庁舎です。

立派な建物でした。


[No.5827] 聖ヨハネ教会堂 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/21(Tue) 05:07
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聖ヨハネ教会堂
画像サイズ: 480×447 (54kB)
京都市にあった
 聖ヨハネ教会堂です。

京都市下京区河原町通五條
明治40(1907)年に建設されました。

プロテスタントの一派日本聖公会の京都五條教会

解説を読むと
ヨーロッパのロマネスク様式を基調に
細部にゴシックのデザインを交えた外観
など説明があります。

ロマネスクなら厚い壁で,がっしりしているが中は(普通は)暗い。

ゴシック教会は窓が多くて明るい。

ロマネスクとゴシックの違い 最初はよくわからなかったが、
ロマネスクは半円アーチで、ゴシックは先頭アーチだから、明確に違いがあるのです。
  (半円アーチよりも尖頭アーチの方が力の作用線にアーチの形態が近いから合理的である)

そういう知識で見ると
この教会は、そもそも石で造っていない、木造なので自由に形状を選べる。
鉄でつくったアーチ部など、明治の大工が苦労したのだろうと思うのです。


[No.5828] Re: 聖ヨハネ教会堂 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/21(Tue) 05:12
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Re: 聖ヨハネ教会堂
画像サイズ: 320×240 (18kB)

> ロマネスクとゴシックの違い 最初はよくわからなかったが、
> ロマネスクは半円アーチで、ゴシックは先頭アーチだから、明確に違いがあるのです。
>   (半円アーチよりも尖頭アーチの方が力の作用線にアーチの形態が近いから合理的である)

> そういう知識で見ると
> この教会は、そもそも石で造っていない、木造なので自由に形状を選べる。
> 鉄でつくったアーチ部など、明治の大工が苦労したのだろうと思うのです。

明治の建築は
西洋建築を見よう見まねで
日本につくっていった大工たちの苦労がしのばれます。


[No.5829] 森鴎外・夏目漱石住宅 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/23(Thu) 05:09
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森鴎外・夏目漱石住宅
画像サイズ: 574×259 (61kB)
 森鴎外・夏目漱石住宅 です。

なんと、この家に
時期は違うが、森鴎外と夏目漱石が住んでいたことがあるのです。

この建物は、明治20(1887)年頃
医学士中島襄吉の新居として建てられたものですが、
空家のままであったのを、明治23年森鴎外が借りて、一年余りを過ごしました。

そして、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が借りて住んでいたのでした。


[No.5830] Re: 森鴎外・夏目漱石住宅 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/23(Thu) 05:41
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Re: 森鴎外・夏目漱石住宅
画像サイズ: 582×372 (26kB)
>  森鴎外・夏目漱石住宅 です。

> なんと、この家に
> 時期は違うが、森鴎外と夏目漱石が住んでいたことがあるのです。

森鴎外
 明治21(1888)年 26歳
 7月ベルリンを出発してロンドン、パリを経由して9月帰国。

 明治22(1889)年 27歳
 3月海軍中将赤松則良の長女登志子と結婚。
 夏に根岸から下谷区上野花園町11番地に住む。
  (この家は、池之端3丁目の水月ホテル鴎外荘に保存されています)

 明治23(1890)年 28歳
 9月長男於菟(おと)生まれる。妻登志子と離婚。
 10月本郷駒込千駄木町57番地に転居。
   この家は後に夏目漱石も住んだ家で、現在明治村にあるわけです。


夏目漱石は
1902年(明治35年)9月にロンドンを訪れた友人たちの間に
「夏目発狂」の噂が流れ、文部省もほおっておけず、漱石は急遽帰国を命じられ、
同年12月5日にロンドンを発つことになります。

(偶然ですが)帰国時の船には、ドイツ留学を終えた精神科医・斎藤紀一がたまたま同乗しており、
精神科医の同乗を知った漱石の親族は、これを漱石が精神病を患っているためであろうと、いよいよ心配したそうです。
  (斎藤紀一の娘婿が斎藤茂吉で、孫にあたるのが斎藤茂太や北杜夫ですね)

漱石は英国留学から帰国後、1903年(明治36年)3月3日に、本郷区駒込千駄木町57番地に転入します(現在は日本医科大学同窓会館、敷地内に記念碑があります)。

東京帝大では小泉八雲の後任として学生を教えることになったが、
学生による八雲留任運動が起こり、漱石の分析的な硬い講義も不評でした。
また、当時の一高での生徒の中に藤村操がおり、やる気のなさを漱石に叱責された数日後、華厳滝に入水自殺したのです。
 漱石は自分の厳しい言葉が藤村を自殺に追いやったのかと悩みます。

こうして日本に帰って来ても漱石を苦しめることが続き、神経衰弱に悩むのです。

そして、高浜虚子の勧めで精神衰弱を和らげるため処女作になる「吾輩は猫である」を執筆します。

明治村にある漱石の家にある日迷い込んできた猫
その猫をモデルに書いた「吾輩は猫である」
まことに、漱石の妻のいうとおり、幸運をもたらす猫だったのです。


ドイツで元気に留学生活を送った森鴎外に対し
ロンドンで精神病におちいったと言われる夏目漱石

この二人の対比される留学に対して
片方(鴎外)は若い時の留学であるのに対し、もう片方(漱石)は37歳でロンドンに渡ったという違い
 (鴎外の若い柔軟なときの楽しいドイツ留学に対し、ある程度人生観もできていた漱石はなかなかロンドンの生活にとけこみにくかっのではないか)
あるいは
片方は医学という実学なので成果は目に見えるが、もう片方は文学というなかなか成果の見えない世界(虚学)だったから
などと分析する議論があります。

ロンドンで苦しんだ漱石は、英文学では得られなかった日本文学のあり方を
日本に帰ってから必死に求め、苦しみながら、日本の文学界をリードする成果を上げるのです。

イギリス留学は漱石に何の成果も上げなかった
だから、日本に帰ってから漱石は苦しみながら独自の文学の世界を創造した
イギリス留学は作家漱石にとって、日本の文学にとって必要なものであった
そう分析する人もいます。


[No.5831] Re: 森鴎外・夏目漱石住宅 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/23(Thu) 05:46
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Re: 森鴎外・夏目漱石住宅
画像サイズ: 976×556 (91kB)
> >  森鴎外・夏目漱石住宅 です。

> > なんと、この家に
> > 時期は違うが、森鴎外と夏目漱石が住んでいたことがあるのです。

森鴎外
>  明治23(1890)年 28歳
>  9月長男於菟(おと)生まれる。妻登志子と離婚。
>  10月本郷駒込千駄木町57番地に転居。
>    この家は後に夏目漱石も住んだ家で、現在明治村にあるわけです。

夏目漱石
> 英国留学から帰国後、1903年(明治36年)3月3日に、本郷区駒込千駄木町57番地に転入します(現在は日本医科大学同窓会館、敷地内に記念碑があります)。

そこで
日本医科大学同窓会館、敷地内に記念碑を紹介します。

なんと
猫の置物まであった。


[No.5832] 札幌電話交換局 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/25(Sat) 05:08
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札幌電話交換局
画像サイズ: 446×350 (41kB)
札幌電話交換局です。

明治31(1898)年暮れに竣工  翌年から交換業務開始

村内を走るバスも写っていました。


[No.5833] 千早赤阪小学校講堂 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/27(Mon) 05:19
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 千早赤阪小学校講堂
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> 鹿児島の帰りに名古屋で一泊して
> 明治村を見学したのでした。

千早赤阪小学校講堂(大阪府) です。

一階が雨天体操場、二階が講堂になっていました。

この建物は、もとは大阪市北区大工町の堀川尋常小学校にあったが
昭和4(1929)年に同校の校舎が新築されたので
南河内郡千早赤阪村の小学校に移築されたものです。

ちょうど
昭和万国博覧会の展示をしていました。


[No.5834] Re: 千早赤阪小学校講堂 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/27(Mon) 05:27
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Re:  千早赤阪小学校講堂
画像サイズ: 566×249 (22kB)
> 千早赤阪小学校講堂(大阪府) です。

> ちょうど
> 昭和万国博覧会の展示をしていました。


これは月琴です。

月琴は江戸時代のおわりに 中国から日本にもたらされた楽器です。
明治時代に盛んに演奏されました。
 第一回内国勧業博覧会で花紋賞を受賞した月琴もあります。


月琴は溝正史の(金田一探偵の活躍する)推理小説に出てきたので
なるほど、こういう楽器だったのかと思って見ました。


[No.5835] 京都市電 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/29(Wed) 05:41
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 京都市電
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> 明治村はなかなか見所も多く、明治の建築や鉄道や電車など
> 当時の文化や日本の技術レベルをふりかえる勉強にもなります。

京都市電です。

1881年ドイツにおいて初めて電車の営業が開始されたが
わが国では市内電車として明治28(1895)年に開業した京都市電が最初です。

京都では、琵琶湖からひかれた疎水の有効的な利用法として
日本最初の水力発電がはじまり
明治24年に電力供給が開始された。

さらに明治28年の第4回国内勧業博覧会の開催地が京都に決定したことも重なり
京都電気鉄道が設立されたのです。


[No.5836] Re: 京都市電 投稿者:男爵  投稿日:2018/08/29(Wed) 05:50
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Re:  京都市電
画像サイズ: 734×551 (66kB)
> 京都市電です。


この電車は明治村の中を走っています。
乗ることができます。


[No.5837] 四高物理化学教室 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/01(Sat) 05:25
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四高物理化学教室
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第四高等学校物理化学教室です。

この物理化学教室は明治23(1890)年、金沢に創建された。

明治村は
四高時代同級生であった東京工業大学教授(建築家)谷口吉郎と
名古屋鉄道株式会社会長の土川元夫の発想と決意によって誕生した。
   (明治村のガイドブックを参考にしました)


[No.5838] 東山梨郡役所 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/03(Mon) 05:24
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東山梨郡役所
画像サイズ: 623×388 (88kB)
東山梨郡役所です。

 明治18(1885)年 新庁舎として落成した。
当時の山梨県令藤村紫朗は地元に多くの洋風建築を建てた。
人びとは「藤村式」と呼んだが、この東山梨郡役所もその一つである。

 正面側にベランダを廻らせ,中央棟と左右翼屋で構成する形式は
三重県庁舎と同様で、当時の官庁建築の特徴である。


[No.5839] 清水医院 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/05(Wed) 05:00
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清水医院
画像サイズ: 519×343 (51kB)
清水医院(木曽郡大桑村)

  木曽路の中程、妻籠と木曽福島の中間、須原の地に清水医院が建てられた。
その様式から、だいたい明治30年代(1897〜1906)と推定される。

 この清水医院には島崎藤村の姉園子も入院しており、彼女をモデル
にした小説「ある女の生涯」に、須原の蜂谷医院として出てくる。


[No.5840] 安田銀行会津支店 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/07(Fri) 04:32
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安田銀行会津支店
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 安田銀行会津支店

安田銀行は明治12(1879)年に認可を受け、翌13年に開業した。

最初は栃木、宇都宮の二店であったが、その後東北地方に展開し
明治23年には会津若松に若松支店が設けられた。

 当初は既存の土蔵造りの建物で営業していたが
明治40(1907)年にこの建物が新店舗として落成した。


[No.5841] 北里研究所本館・医学館 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/09(Sun) 05:23
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北里研究所本館・医学館
画像サイズ: 507×351 (44kB)
北里研究所本館・医学館

 日本の細菌学の先駆者北里柴三郎が大正4(1915)年 柴白金三光町に建てた研究所の本館

東大で医学を修めた北里柴三郎はドイツに留学、コッホのもとで、細菌学を研究し
破傷風の培養、破傷風の血清療法により学界に認められた。


[No.5842] Re: 北里研究所本館・医学館 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/09(Sun) 05:32
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Re: 北里研究所本館・医学館
画像サイズ: 804×700 (96kB)
> 北里研究所本館・医学館

ちょうど
北里柴三郎の記念展が開催されていました。

> 東大で医学を修めた北里柴三郎はドイツに留学、コッホのもとで、細菌学を研究し
> 破傷風の培養、破傷風の血清療法により学界に認められた。

1890年(明治23年)には血清療法をジフテリアに応用し、同僚であったベーリングと連名で「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」という論文を発表した。

しかし
ノーベル生理学・医学賞は、共同研究者のベーリングのみが受賞して
北里柴三郎は はずされていた。

野口英世にしても、ノーベル賞の候補になったことは
今日では有名な事実であるが
日本人の優秀さを、欧米人がまだ認めていなかったふしがあるように思われる。


[No.5843] 幸田露伴住宅「蝸牛庵」 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/11(Tue) 04:45
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幸田露伴住宅「蝸牛庵」
画像サイズ: 582×364 (70kB)
幸田露伴住宅「蝸牛庵」

 露伴は自分の家を「かたつむりの家(蝸牛庵)」と呼び、やどかりのように幾度となく住まいを変えている。

隅田川の東にあったこの家もその内の一つで、明治30(1897)年から約10年間を過ごしている。


[No.5844] 品川燈台 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/13(Thu) 05:19
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品川燈台
画像サイズ: 378×407 (30kB)
品川燈台

 江戸幕府と明治政府は燈台建設のための技術援助をフランス、イギリスに依頼した。

東京湾沿岸の観音崎、野島崎、城ヶ島、品川の4つの洋式燈台がウェルニーを首長とするフランス人技術者の手によって建設された。


[No.5845] 菅島(すがしま)燈台付属官舎 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/15(Sat) 04:39
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菅島(すがしま)燈台付属官舎
画像サイズ: 450×458 (47kB)
菅島(すがしま)燈台付属官舎

菅島燈台は明治6(1873)年 伊勢湾の入り口、鳥羽沖合の菅島に建てられた。

品川燈台がフランス人の手になるのに対して、これはブラントンを頭とする工部省燈台局のイギリス人技術者の設計管理になるものだった。


[No.5847] 長崎居留地二十五番館 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/17(Mon) 04:32
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長崎居留地二十五番館
画像サイズ: 635×426 (53kB)
長崎居留地二十五番館

ここの常設展示が印象的

それは
 明治の厠(トイレ)


[No.5848] Re: 長崎居留地二十五番館 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/17(Mon) 04:34
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Re: 長崎居留地二十五番館
画像サイズ: 448×336 (29kB)

> それは
>  明治の厠(トイレ)

古い料亭には
このような便器を見かけます。

使用しないようにという注意書き


[No.5849] Re: 長崎居留地二十五番館 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/17(Mon) 04:39
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Re: 長崎居留地二十五番館
画像サイズ: 507×258 (10kB)
> > それは
> >  明治の厠(トイレ)

きれいな容器
チェンイバーポット

西洋にも100年前には日常使われた
「おまる」です。

しかし、まだ売られているみたい。
https://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BC+%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88&index=aps&jp-ad-ap=0&tag=googhydr-22&ref=pd_sl_6mqzs7xx3h_b&adgrpid=52839503883&hvpone=&hvptwo=&hvadid=259139989185&hvpos=1t1&hvnetw=s&hvrand=2661647962012467712&hvqmt=b&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009120&hvtargid=kwd-381860609414


[No.5850] 神戸山手西洋人住居 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/19(Wed) 04:49
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神戸山手西洋人住居
画像サイズ: 444×268 (34kB)
神戸山手西洋人住居

先の長崎居留地二十五番館と同じ頃の外人住居であるが、雰囲気にはかなり違ったものがある。

平屋建でゆったりとした長崎居留地二十五番館が明治初期の植民地住宅的な雰囲気を遺すのに対し、この神戸の建物はより本格的な西洋館になっている。

これは,当時神戸が横浜と並んで貿易港として発展をみせており,建物にも洗練されたものが求められたためと考えられる。

ベランダから室内へ数多くの出入り口を設けているのは、余り広くない室内をベランダと一帯で使うための配慮であろう。
 (敷地が狭いから、ベランダに廊下の機能をもたせた?)


[No.5851] 四高武術道場 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/21(Fri) 04:18
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四高武術道場
画像サイズ: 632×350 (82kB)
四高武術道場

柔道、剣道、弓道の三つの道場を兼ね備えた洋風建築

作家井上靖も柔道で汗を流 した武道場「無声堂」


[No.5852] Re: 四高武術道場 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/21(Fri) 04:21
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Re: 四高武術道場
画像サイズ: 460×305 (25kB)
> 四高武術道場

> 作家井上靖も柔道で汗を流 した武道場「無声堂」

ああ  明治だ。
あすなろ物語


[No.5853] 日赤中央病院病棟 投稿者:男爵  投稿日:2018/09/23(Sun) 06:03
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日赤中央病院病棟
画像サイズ: 439×349 (25kB)
日赤中央病院病棟

ドイツのハイデルベルク大学病院を模して二階建レンガ造で
造られた本館を正面に据え,背後中央に大きな中庭を設け、
その廻りに病棟を配する形は、陸軍軍医森鴎外も推奨したものである。