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[No.5399] キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/12(Wed) 07:10
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キルギス旅行記
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もうかなり前になりましたが
中央アジアのキルギス共和国に行ったことがあります。

かの三蔵法師も天竺まで旅した途中に
キルギスにも寄りました。

冬でも凍らない不思議な湖のことを記録しています。
  (私たちもその湖には寄ったのです)

少しキルギス旅行のことを書いてみたいと思います。


まず
中国の新疆ウイグル自治区から飛行機で
天山山脈を越えていきます。


[No.5400] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/13(Thu) 05:14
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Re: キルギス旅行記
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> 少しキルギス旅行のことを書いてみたいと思います。

> 中国の新疆ウイグル自治区から飛行機で
> 天山山脈を越えていきます。

キルギスの首都ビシュケクに着きました。
これは宿泊したホテルです。


[No.5401] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/13(Thu) 05:16
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Re: キルギス旅行記
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> キルギスの首都ビシュケクに着きました。
> これは宿泊したホテルです。

ホテルの宿泊カードです。

キルギスは基本的にロシア語の世界です。


[No.5402] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/14(Fri) 19:01
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Re: キルギス旅行記
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> もうかなり前になりましたが
> 中央アジアのキルギス共和国に行ったことがあります。

キルギスゆかりの人フルンゼの記念館を見学した。

フルンゼとは、この町(首都)で生まれた、赤衛軍の将軍で、
レーニンやスターリンと同時代の人。

フルンゼの父親は、この地で医師として地域の医療につくした。

フルンゼは、成績優秀でモスクワの大学に進んで、ロシア革命に
若者らしく時代を生きた人物。
残念ながら40代で亡くなった。
キルギス人のことも配慮していた民主的な人物だったという。

ソ連時代、しばらく首都はフルンゼと呼ばれていたので、10年前の地図には
フルンゼと出ている。
現在は昔のようにビシュケクの名前に戻された。

これは
記念館の奥にあったレーニンに説明する場面の絵です。


[No.5403] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/15(Sat) 04:33
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Re: キルギス旅行記
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> もうかなり前になりましたが
> 中央アジアのキルギス共和国に行ったことがあります。

キルギスの首都ビシュケクで
バザールに行きました。

雰囲気も独特、売られているものも独特でした。
あとで中国新疆ウイグル自治区のバザールや、ウズベキスタンのバザールも
体験したのですが
それらのバザールとも違うものでした。

なぜかキムチも売られていたのです。

それはあとでわかったのだが
スターリンにより、沿海州に住んでいた朝鮮族の人たちが
強制的に中央アジアに移住させられたという歴史があったのでした。

カザフスタンにもやはり強制的に移住させられた朝鮮族の人々が
日本の「天然の美」の(朝鮮語の)替え歌を持ち込んでいたことを
ラジオ深夜便で知りました。


[No.5417] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/19(Wed) 05:36
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Re: キルギス旅行記
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> キルギスの首都ビシュケクで
> バザールに行きました。
>
> 雰囲気も独特、売られているものも独特でした。
> あとで中国新疆ウイグル自治区のバザールや、ウズベキスタンのバザールも
> 体験したのですが
> それらのバザールとも違うものでした。

こちらの写真も載せておきます。 乳製品コーナー

馬乳酒もあったが、ここで買ったものには防腐剤みたいな物が入っているから
そうでないものを後で飲みましょうと言われて飲めなかった。

キルギスを出る時に、現地人のところで、彼等が飲んでいる自家製の馬乳酒を飲むことができたのでした。


[No.5404] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/16(Sun) 04:14
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Re: キルギス旅行記
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> かの三蔵法師も天竺まで旅した途中に
> キルギスにも寄りました。
>
> 冬でも凍らない不思議な湖のことを記録しています。
>   (私たちもその湖には寄ったのです)

その湖は冬でも凍らないから
ソ連の原子力潜水艦の訓練基地があったため
旧ソ連時代には外国人の立ち入りが制限されていました。

かの井上靖も行きたくても、行けなかった地でした。

その「幻の湖」と言われていたイシク・クル湖に行きました。

途中で一休みした場所。
願い事を紙に書いて木の枝に結ぶといいと言われて
この旅行が無事すんで帰宅できるよう書きました。


[No.5411] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/17(Mon) 04:49
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Re: キルギス旅行記
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> 冬でも凍らない不思議な湖のことを記録しています。
>   (私たちもその湖には寄ったのです)


湖が近くなりました。
いったん休憩です。

湖で獲れた魚やサクランボが売られていました。

ところでお気づきでしょうか。
キルギス人は、なんとなく日本人に似ています。

あるキルギス人は言いました。
キルギス人と日本人は同じ先祖を持つ。
シベリアのエニセイ川流域に住んでいた人種が
西に行ったのがキルギス人で、東に行ったのが日本人なのだ。

当時のキルギス共和国の大統領は、日本人そっくりな顔(どこかのおじさんみたい)だった。

もちろんロシア人も住んでいるので、ロシア人とキルギス人の混血の人もいます。
しかし、一般のキルギス人はどこか日本人の面影を残しています。

イスラムの国ですが、キルギス人はアジア系です。
 同じ旧ソ連圏でも、ウズベク人やカザフ人はトルコ系、タジク人はヨーロッパ(イラン)系と人種が違うのです。


[No.5414] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/18(Tue) 04:24
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Re: キルギス旅行記
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> かの三蔵法師も天竺まで旅した途中に
> キルギスにも寄りました。

> 冬でも凍らない不思議な湖のことを記録しています。

> その「幻の湖」と言われていたイシク・クル湖に行きました。

イシク・クル湖のほとりのサナトリウム(保養所)で
津軽三味線とキルギスの楽器の演奏会があるので
聞きに行ったのでした。


三味線演奏者の紹介でした。  背の高い女性はロシア語と日本語の通訳でした。


[No.5415] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/18(Tue) 04:27
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Re: キルギス旅行記
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> イシク・クル湖のほとりのサナトリウム(保養所)で
> 津軽三味線とキルギスの楽器の演奏会があるので
> 聞きに行ったのでした。


キルギスの若者の演奏を聞いたとき
なぜか、追分の物悲しいメロディを思い出したのです。

追分に近い音楽が一部もりこまれていたような気がします。
  (追分のルーツがモンゴルの音楽にもあります)


[No.5416] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/19(Wed) 05:00
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Re: キルギス旅行記
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> イシク・クル湖のほとりのサナトリウム(保養所)で
> 津軽三味線とキルギスの楽器の演奏会があるので
> 聞きに行ったのでした。

朝の散歩
あたりは雰囲気がよかった。


[No.5418] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/20(Thu) 05:06
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Re: キルギス旅行記
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イシク・クル湖のほとりのサナトリウム(保養所)に泊まったとき
演奏会の翌日でしたが
大臣の家に招待されました。


[No.5419] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/20(Thu) 05:10
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Re: キルギス旅行記
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> イシク・クル湖のほとりのサナトリウム(保養所)に泊まったとき
> 演奏会の翌日でしたが
> 大臣の家に招待されました。

なんと羊一頭がまるごと料理され
みんなの前に出されました。

年長者から、好きな部位を食べることができる。
 たとえば、羊の目を食べると、目がよくなる。
 羊の耳を食べると、耳がよくなる。
  .....


シルクロードを旅行する人は、羊肉が苦手だと、食べられるものが極端に少なくなります。

私は羊肉が好きなので、毎日でも大丈夫。


[No.5420] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/21(Fri) 05:16
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Re: キルギス旅行記
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首都ビシュケクのキルギス国立博物館の見学。

博物館前には巨大なレーニン像が建っていた。


[No.5421] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/22(Sat) 11:09
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Re: キルギス旅行記
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キルギス共和国を出て、中国に行くのです。

国境までは、また一行を乗せた車が走ります。

あいかわらず雨が降り続く中、車はナリンの町めざして走る。
アロレーンというT字路まできたら、ガソリンスタンドがあり、
我々の車にガソリン(軽油)を入れることができた。

高地を走るから普通のガソリンではいけないという。

ここもセルフサービスだった。世界でも日本だけ
セルフサービス店が少ない。

   ガソリンスタンド  ОПЕРАТОР OPERATOR


[No.5423] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/24(Mon) 04:53
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Re: キルギス旅行記
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> もうかなり前になりましたが
> 中央アジアのキルギス共和国に行ったことがあります。

キルギスはロシア語の世界。

これは喫茶店(茶屋)で
ロシア語の意味は「旅」だそうです。


[No.5424] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/25(Tue) 04:31
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Re: キルギス旅行記
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キルギスから中国新疆ウイグル地区に移動するのだが
途中いくつか峠を越える。

実は高地を走るせいか寒い。

遊牧民のテントが現れた。


[No.5425] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/26(Wed) 04:38
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Re: キルギス旅行記
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>実は高地を走るせいか寒い。

>遊牧民のテントが現れた。

子供たちが現れて
車に寄ってきた。

現地人の中には英語のできる女子大生もいた(ビシュケクの大学生だった)。

我々一行の通訳は、馬乳酒があったら飲みたい旨伝えた。


[No.5426] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/27(Thu) 05:12
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Re: キルギス旅行記
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>>遊牧民のテントが現れた。

>我々一行の通訳は、馬乳酒があったら飲みたい旨伝えた。

テントの中が整えられる。

中はけっこう広い。


[No.5427] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/28(Fri) 04:44
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Re: キルギス旅行記
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>>遊牧民のテントが現れた。

>我々一行の通訳は、馬乳酒があったら飲みたい旨伝えた。

長老が馬乳酒の袋を持って現れた。


[No.5430] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/29(Sat) 05:28
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Re: キルギス旅行記
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> >我々一行の通訳は、馬乳酒があったら飲みたい旨伝えた。

>長老が馬乳酒の袋を持って現れた。

子供がまず馬乳酒を飲む。

これは一種の毒見だろう。

我々一行の中には、大事な子供に毒見をさせるということは
なんという誠意あるもてなしかと感心する人がいた。


子供にしたら、客人がきたから
おいしい馬乳酒が飲めたわけである。


[No.5432] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/30(Sun) 04:55
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Re: キルギス旅行記
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キルギスに来た時は
中国の新疆ウイグル自治区のウルムチから
飛行機で 天山山脈を越えて来たのだが
中国に戻るのに
車で峠越えをしたのだった。

天山山脈を歩いて越えた三蔵法師の旅を思い描いて
我々も峠越えの雰囲気を体験してみようかということだったのだが
これが後から考えると失敗だった。

標高が高いので、高山の景色となる。
私は知床の羅臼岳登山の時を思い出したのでした。


[No.5434] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/05/01(Mon) 04:52
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Re: キルギス旅行記
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>標高が高いので、高山の景色となる。
>私は知床の羅臼岳登山の時を思い出したのでした。

眺めはよかったのですが
このあと、とんでもないことになったのです。

そのときは全然予想もしていなかったこと。


[No.5438] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/05/02(Tue) 12:53
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いよいよ国境が近い。道の両側にはバラ線が張られている。

突然左手に兵舎が5棟見えた。迷彩服を着た若い兵士が現れた。

ここまで我々に同行してくれた局長は通訳をともない、
我々のパスポートと出国用紙、キルギス政府発行の国境通過申請書を持って行った。

しばらくして、通訳が戻ってきて言うには、
なんと我々10名は申請書に名前が書いてあるから認めるが、
2名の運転手の名前が書かれていないから、通行を認めないという。

まさか歩いていくわけにはいかない。

我々はなかなか通してくれないのに、脇の草原を羊の群や時には馬に乗ったキルギス
人が通る。

1時間以上待たされてから、国境警備隊の本部に着く。
警備隊は食事中とのことで、しばし待たされる。
ここはこの街道で一番高いところ。冬は気温がマイナス45度になり、
5月から10月までしか通行できない。

こんな厳しいところで働くのだから、大変な仕事だ。
しかも、ソ連の崩壊で、ロシアからも給料は十分出ない。
キルギス政府も貧しいから、あまり払っていないのだろう。
となれば、彼らは通行人になんとか通行料をふっかけるしかないのだろう。

日本で、このトルガルト峠のことを書いた説明書はない。つまり、誰も日本人は通ったことがないのだろう。
ここを通るのは、新疆ウイグルとキルギスの間の商人だけ。
おそらく彼らは、いくらかの通行料を払っているのだろう。

これ以上ここに留まると、中国の国境ゲートは閉じられてしまう。
時間ぎりぎりのところで、国境警備隊は通してくれた。
しかし、今度は通関の職員が現れず、またも待たされる。

すったもんだのあげく、やっと我々の車が国境を出発する。

結局、我々の車の運転手はここに残り、現地の人間に金を払って運転手として雇う。
その運転手が最後の門の前に立つ(機関銃を携帯した)男に、なにがしかのお金を払うのを見た。


[No.5442] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/05/03(Wed) 07:39
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Re: キルギス旅行記
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キルギスから中国までの
国境の緩衝地帯の7kmの道を車はとばし
やっと、中国側の立派な門の前に到着した。

しかし、車は門まで1キロ弱のところで止まって動かない。
しかたなく(火事場のなんとかで)重い荷物をかかえて
強い風の中を、中国領土に入った。

そこには数時間前から、カシュガルの旅行社のバスが待っていた。


[No.5444] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/05/04(Thu) 15:51
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Re: キルギス旅行記
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キルギス−中国の国境地帯(7km)を越えてやっと門の形をした中国国境に入ることができた。
我々は強風の中を、中国領に駆け込んだ。

中国領には、我々のためにカシュガルの旅行社のマイクロバスが待っていた。

それから岩だらけの道をバスは猛烈な速さで下った。

その日は難行が続き、カシュガルのホテルに入ったのは夜遅くだった。

以下メモ書き
・山を下りて、中国の国境警備隊の本部で、なんとスーツケースも手荷物も開けられ
 検査をされた。金属探知機も使用された。
・それからさらに車は走り、本当の税関にたどり着き、正式な検査を受けた。しかし、
 スーツケースを開けられなかった。税関職員は、国境警備隊には荷物を開ける任務は
 ないので、彼らのした行為は違法であるから、ガイドは政府に手紙を書いて
 抗議するように勧めた。
・飛行場まで我々のバスは全速力で走ったが、飛行機に乗ることはできなかった。
 しかたなく、その飛行機に乗る予定の2名はカシュガルに泊まり、
 翌日我々と一緒にウルムチに向かった。
 (彼らはウルムチに1泊後、北京経由で日本に帰った。予定より1日遅れの帰国は職場に影響はあったろうか)

なお、われわれはウルムチに数日滞在してから、北京で一泊の後、帰国するのである。


[No.5447] Re: キルギス旅行記 投稿者:男爵  投稿日:2017/05/05(Fri) 04:59
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中央アジアのキルギス共和国から
隣国の中国新疆ウイグル自治区に移動するとき
トルガルト峠を越えたのだが
厳しい旅であった。

その後日談がある。
二つほど紹介しよう。

  我々が帰国してから(8月23日)に
キルギス南部オシ州で日本人技師4人を含む7人が、ウズベキスタンのイスラム武装集団の人質になるという事件 が起こった。
人質の―人に、我々一行をビシュケクの 空港で出迎え、通訳の任にあたってくれたキルギス人が含まれていることを知り、さらに驚きは増した。
 実は彼は、埼玉大学に留学した経験を持つ人である。
一見のどかな牧歌的風景の中、実は中央アジアの国々が、依然として政治的に不安定な状態にあ るということを認識させられる事件であった。

(武装集団は人質解放の条件として、ウズベキスタンに拘置中の仲間の釈放を
求めている。どうやら、これが彼らの目的らしい)

(10月25日、実に63日ぶりに全員が解放され、数日後に日本に帰ってきました。
よかったよかった)


 我々一行がキルギスの国境を越えた1週間後、 (百年に一度クラスの)記録的な大雨でその国境付近は通行ができなくなったという知らせがもたらされた。
 我々の旅行が無事すんだことろを、改めて神仏に感謝したものだった。

 シルクロードを自転車で走破するという日本人のグループがいて
ちょうどこのトルガルト峠越えを、我々の約1カ月あとに、逆コースで
中国からキルギスに向かう計画を立てていた。
 私は、このグループの計画を参考にするため、何度か彼等の立ち上げたサイトを見ていたのだが、結局この年は陸路での峠越えは断念し、空路でキルギスに入ったようであった。


[No.5467] キルギスの参考文献 投稿者:男爵  投稿日:2017/05/15(Mon) 05:15
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この旅行の後
同行した人から下記の文献を教えてもらった。

田中哲二:キルギス大統領顧問日記、中公新書1570

2001年1月に発行された本なので、内容は新しい。ここに少し紹介する。


●キルギス人の宗教
 スンニー派イスラム教が主流であるが、一般家庭では定時のお祈りをすることもなく、
酒も禁止されていない。一部にはロシア正教も見られる。冠婚葬祭にはむしろアニミズム
的要素が多分に見られる。聖なる樹への願掛けの結びは日本の神社で見られるのとまったく
同じである。
 我々もイシクル潮に行く途中で、聖なる樹に白い細い布を結びつけて旅の安全を祈った
ものである。

●ミハイル・フルンゼ
 ビシュケクが一時期、この地に生まれた英雄の名をとってフルンゼと呼ばれた。
フレンゼとはモルダビア語で「緑の葉」の意味であり、フルンゼの先祖はモルダビア人
である。モルダビア人はウクライナの南に住む民族で、ルーマニア人と言語・文化の面で
近い。歴史的にモルダビア人とルーマニア人の結びつきが強かったので、ソ連はモルダビア
共和国とルーマニアが再び統一へと向かうことのないように注意を払い、特にモルダビアに
対して徹底的な弾圧を加えた。

●中国の核実験
 中国の核実験は、新疆ウイグル自治区で、春の終わりから夏にかけて、東風や東南風が
吹くときに行われる。放射能の影響が中国本土の方におよばないようにとの配慮である。
その結果、核実験の後にキルギスの放射能が高くなるという。中国を怒らせたり、国民に
反中国の火をつけてしまうことを恐れている大統領は、目立った行動はとれない。
ロシアの核実験もあるので、ロシアに抗議してロシアのうしろだてを無くすことも問題で
ある。「日本は中国にODAを供与しているから、環境問題の観点から中国に核実験の
中止を勧告してほしい」と言われた著者は、これを日本政府に伝えた。1995年8月に
河野外務大臣のとき、核実験問題をとりあげ対中経済援助を一時棚上げしたことがある。
その後ロブノールの実験を中止したのは、著者の努力が無駄でなかったかもしれない。