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  • [No.7865] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵   投稿日:2017/04/28(Fri) 05:22
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    唐辛子紋次郎さん

    >  昨日の講演は、午後6時に始まりました。場所は九段。二松学舎の斜向かいにある、イタリア文化会館で、講師は大阪芸術大学の石井元章教授。演題は「明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得」(約2時間)です。
    >
    >  その留学生というのは全部で4名で、井尻儀三郎、緒方惟直、川村清雄と長沼守敬です。

    図書館から「石井元章:明治期のイタリア留学」を借りてきて、この本を読んでいます。

    >  川村清雄の展覧会が、じつは5年前に、両国の江戸東京博物館で開かれたのですが、あっしは見落としてしまい、いまでも残念な思いで一杯です。

    この本の113頁に
    川村清雄の絵「少女像」(東京国立博物館、東京文化財研究所画像提供)
    が載っています。

    これは、六本木森タワーで見てきた
    エルミタージュ美術館展での
    フランシスコ・デ・スルバランの「聖母マリアの少女時代」
    とモデルが似ています。
    http://jp.rbth.com/arts/2017/03/17/721223

    スルバランは17世紀のスペインの画家なので
    時代も違いますが
    モデルや、表現方法などに共通点があるのでしょうか。

    たんなる素人の印象でした。


    [No.7864] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵   投稿日:2017/04/26(Wed) 07:54
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    >  昨日の講演は、午後6時に始まりました。場所は九段。二松学舎の斜向かいにある、イタリア文化会館で、講師は大阪芸術大学の石井元章教授。演題は「明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得」(約2時間)です。

    この本を図書館から借りてきました。
      石井元章:明治期のイタリア留学
    http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b272889.html

    この本によると
    長沼はローマで辰野金吾(東京駅の設計者)に会っています。 1882年末

    >  その留学生というのは全部で4名で、井尻儀三郎、緒方惟直、川村清雄と長沼守敬です。....緒方は洪庵の実子、ヴェネツィアで、イタリア婦人マリアと恋仲になり結婚。その後病を得て、1878年、妻マリア、子エウジェーニアを残し、ヴェネツィアで死去。その12年後にマリアも死去。遺児エウジェーニアは、その2年後に惟直の父が、日本へ連れ帰ったようです。

    >  惟直はヴェネツィア、サンミケーレ島内の、共同墓地に葬られました。この墓には、彫刻家、長沼守敬の作った、立派な墓碑があるといいます。石碑にはCorenao ★Ogataと俗名が彫られ、姓と名の間に、惟直の横顔が彫ってあります。

    共同墓地に埋葬されていた 惟直の遺体を掘り起こし、市長の許可のもとに
    大理石製の蓋の浮彫を長沼が制作しました。

    原敬が(外務書記官としてパリ公使館赴任の途中)ヴェネツィアに到着したとき
    長沼はベルシェとともに港に出迎えています。  1885.11.30
     (日本領事騎士ベルシェは大富豪で、長沼に惟直の墓碑制作を依頼した)


    森鴎外と長沼守敬の出会いは
    別に書きましょう。


    [No.7863] 麺文化 投稿者:男爵   投稿日:2017/04/25(Tue) 05:47
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    うどん、蕎麦、ラーメン、ソーメン....

    日本人の好きな麺類は、いつごろから食べられるようになったのだろうか?

    禅僧によって持ち込まれた?

    讃岐のうどんは、まさか、弘法大師が持ち帰ったものではないだろう?


    ソーメンは伸ばしてつくる。索麺(そうめん)という。
    手打ち蕎麦は、こねて、平らにのばしてから切って蕎麦にする。
    あと
    トコロテン方式で突きだしてつくるのが冷麺だ。

    マルコポーロが元王朝の人々の(食べていた)麺を母国に伝えたのがマカロニだという説と
    逆に
    マルコポーロがイタリアの麺文化をジンギスカン王朝に伝えたという説がある。

    いつか調べてみたい麺文化。


    [No.7862] 黄門ラーメン 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/22(Sat) 05:19
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    > > 東大農学部はかつて水戸屋敷だった。
    >
    > > ここで儒学者朱舜水から光圀はシナソバ(ラーメン)をご馳走になった。

    黄門ラーメン

    水戸黄門が食べた中国の麺。これぞ日本人が初めて食べたラーメン。

    中国に憧れ儒学を学びたかった黄門様。
    高名な儒学者の朱舜水(しゅしゅんすい、1659に帰化)を苦労して交渉して1年かかって
    長崎から江戸に迎えることができた。


    黄門様は東京小石川後楽園の造築にあたっても、
    朱舜水の意見にしたがい中国趣味を付け加え、中央に池、四方に築山を配して
    各地の名所にちなむ堂社や亭(ちん)を建てた。


    黄門様から手打ちうどんをご馳走になった朱舜水は喜んだ。
    そして黄門様が麺好きなことも知った。
    それならというわけで、おかえしに中国の麺を作ってご馳走した。

    スープは豚の腿肉(ももにく)を塩漬けにした中国式ハムの火腿でとった。
    麺は小麦粉につなぎとして藕粉(レンコンからとった料理用の澱粉)を使った。

    さらに薬味は「川椒(チュアンヂャオ)」「青蒜絲(チンスァンスウ)」
    「黄芽韮(ファンヤアヂウ)」「白芥子(バイヂェヅ)」「芫妥(妥は草冠)(イェンスイ)」
    の5種類であった。
    「川椒」は山椒のことだが、四川省の山椒という意味である。
    「青蒜」は葉ニンニクのこと。「黄芽韮」は黄色いニラの若芽のこと。
    「白芥子」は白カラシのこと。「芫妥(妥は草冠)」は香菜のことであった。

    この黄門様の食べたというラーメンは新横浜のラーメン博物館に展示されている。


    [No.7861] Re: 元禄の薩長連合 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/21(Fri) 18:53
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    > 東大農学部はかつて水戸屋敷だった。

    > ここで儒学者朱舜水から光圀はシナソバ(ラーメン)をご馳走になった。

    東大農学部の中にある
    朱舜水の記念碑。


    [No.7860] 元禄の薩長連合 投稿者:男爵   投稿日:2017/04/21(Fri) 06:04
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    元禄の薩長連合

    「大日本史」を書いた水戸光圀  南朝正統論(足利尊氏は忠臣、楠木正成は逆賊 これを逆転させた) 光圀は版籍返上の考え?  光圀は尊皇敬幕

    そういう噂を立てたのは、長州藩と薩摩藩? かれらの狙いは、尾張徳川家と水戸徳川家の対立分断 そして薩長連合で倒幕計画

     介(すけ)さんは薩摩藩  覚さんは長州藩 大日本史編集についての史跡調査と古文書探査と称して、薩長の動きを光圀はさぐらせようとするが.....

     しかし、介さんも覚さんも、領国に入れず。

    ただ下記の事実を探ってきて、水戸光圀に報告した。
      長州藩の元旦の"獅士の廊下の儀"(今年は徳川を討ちますか 今年はやめておこう)
      薩摩藩の"妙円寺参り"(島津義弘を偲び、武士たちが鎧兜に身を固め城下から妙円寺にお参り)

    水戸光圀のところに、威しに来た薩摩の使いに対して
    光圀は反対に薩摩の行動はすべて見とおしていると言い返す。

    琉球国は清国の冊封を受けているが、薩摩藩は琉球国を支配していることになっている。幕府には報告せず。 この情報を朱舜水から光圀は得ていたのだ。 琉球国の対中国朝貢貿易から甘い汁を吸う薩摩藩 光圀は知っていた。

        大活字 童門冬二集  げんだい時代小説


    東大農学部はかつて水戸屋敷だった。

    ここで儒学者朱舜水から光圀はシナソバ(ラーメン)をご馳走になった。


    [No.7859] 徒然草 投稿者:男爵   投稿日:2017/04/17(Mon) 05:25
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    > 太平記を読みました。

    徒然草を読みました。
    受験勉強の古典で、よく読んだものですが
    全体を読んだわけではなかったので
    改めて読みました。

    よい友、悪い友
     悪い友は7つある。 一つは身分の高い人。二つは若い人。三つは病気を持たず健康な者。
      四つは酒を飲む人。五つは威勢のいい武士。六つはうそをつく人。七つは欲の深い人。
       丈夫で元気で病気知らずの人が医者になると弱い患者の心はわからない。難病で苦しんだ医者は、患者の気持ちがわかるからよい医者になる、とこれは私の独断と偏見でした。

    よい友はつぎの3つ。 一つは物をくれる友。二つは医者。三つは知恵ある友。


    庭に植えておきたい樹木
     松と桜 花は一重。 八重桜は奈良にしかなかったのに最近やたらに増えた。
     八重桜はあくどくて嫌な感じだから、植えなくてよい。

    おやおや、兼好法師は八重桜が嫌いだったようだ。
    どっしりした感じの八重桜は、遅咲きですね。


    石清水八幡宮
     仁和寺の坊主が、年をとるまで石清水八幡宮に参詣したことがないので、あるとき思い立ってひとりで出かけた。
     八幡宮のふもとの極楽寺・高良(こうら)をおがんで、これが石清水八幡宮だと勘違いして帰ってきた。

    帰ってから仲間に言った。
    「長年の思いをはたしました。ききしにまさる尊いところだったが、お参りしている人がみな山に登ったのは、何か事件でもあったのかねえ。知りたかったけれど、八幡宮におまいりすることが目的だったので、山の上は見ませんでした」

    これは何度も読んだ話だが、せっかく行ったのに山の上の八幡宮まで行かなかったから、何ごとも案内人がいたほうがいいということ。

    私も旅先で、よく知らないで、もう少しいけば肝心のものが見られたのにという経験も何度もしている。
    そこで
    親切に教えてくれる人がいればいいのだが、予めガイドブックでよく調べておくべきだった。そういう体験をして、この徒然草のことを思い出したものです。


    [No.7858] 太平記 投稿者:男爵   投稿日:2017/04/16(Sun) 16:09
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    太平記を読みました。

    裏切り、親子兄弟や伯父甥が敵味方になる。
    勝つ者も、あるときは負ける。

    後醍醐天皇の悲しみ、足利尊氏の苦しみ
    新田義貞は苦労した人生だった。
    楠木正成はかっこいい。

    鎌倉(唱歌)
    https://www.youtube.com/watch?v=r-qFmcWyOQc

    七里ケ浜の 磯伝い 稲村ケ崎 名将の 剣投ぜし 古戦場
    http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/monogatari_folder/gokuraku_folder/goku04.html


    大楠公の歌
    https://www.youtube.com/watch?v=qPcrhHT3Eww
     青葉茂れる桜井の〜


    児島高徳(こじまたかのり)
    https://www.youtube.com/watch?v=kkY40y2j-tU
    船坂山や杉坂と 御あと慕ひて院の庄



    ご覧の通り
    他にもいろいろ読みましたが
    それらはいずれまた...


    [No.7857] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/10(Mon) 13:17
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    男爵さん、みなさん、

    > 唐辛子紋次郎さんは、 ミスタードーナツも嫌いなようですね。

      ええ、そうですよー。あっしは、昔人間ですからね。(^_-)-☆マーチャンは親米だと思います。(^_-)-☆ええっ、ミスター・ドーナッツも、Made in USAなんですか。マッタク知りませんでした。でも、あっしも、今度生まれる時は、親米になっているかも。ところで、

     アメリカでいま大好評の、このドーナッツも、遠慮します。ま、はやく云えば、ドーナツとスパを合体しただけなんすが。これだと、極端なはなし、フォークがなくても簡単に食べられますよね。しかし、こう見えても、いちおう、メニューの方は豊富で、カルボナーラであろうと、ポモドーロであろうと、ラグーボロニェーゼ、アッリオオーリオ、ズッキーネ、何でもござれということらしいです。このドーナツ、ブルックリンでお目見えするや、忽ちテレビ局の関心を集め、さらにはSNSでも話題が盛り上がり、世界制覇も時間の問題だとか。←、留学生の話がいつのまにか「スパゲッティ・ドーナッツ」の話に。

    http://video.repubblica.it/socialnews/spaghetti-donuts-l-ultima-moda-dello-street-food-negli-usa/272684/273206?ref=RHRD-BS-I0-C6-P4-S1.6-F3


    [No.7855] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵   投稿日:2017/04/10(Mon) 04:35
    [関連記事


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    唐辛子紋次郎さん、みなさん、 おはようございます。


    > > > > 大聖堂はミュンスターといいます。 
    >
    >  これはミュンスターの写真ですね。

    あまり大きいから、一枚の写真になりませんでした。

    下半分です。

    > > こちらに地図がありました。
    > > http://www2m.biglobe.ne.jp/ZenTech/world/map/germany/Freiburg_im_Breisgau.htm
    > >  青の1番が駅
    > >  赤10番が大学  ゲヴェルベ運河(ロッテックリング)の近く。
    > >  赤4番がミュンスター(大聖堂)です。
    >
    >   下宿から学校まで、通学にはどのくらいの時間がかかったのですか?わりと近かったですか?

    電車に乗っていくのですが、もう忘れてしまいました。

    そのうち旅行記でフライブルクとその周辺を紹介することにします。


    > >  ついでに 赤9番がマックです。世界ではじめに入った店。以後、日本でもドイツでも中国でも愛用しました。
    > > インターネットのおかげで便利な世の中です。

    >  マックというのは、マクドナルドのことですか?あっしは筋金入りの反米主義者(^_-)なので、マックとケンタッキーとは、はいりません。

    マックは町の中の目立つところに店を構えて
    あたりの雰囲気を壊す傾向にあるので
    ドイツ人も批判的な目で見ていました。
      (たとえば平安神宮のそばとか、二重橋の脇に、あんな店がまえがあれば....)

    しかし、言葉が十分でない外国人には、いざとなったら
    ゆびさしで注文できるから便利でした。 店内は外国人とドイツの若者だけ。

    驚くことに、ドイツのマクドナルド店ではビールがメニューにあります。
    世界中、アルコールの置いてあるのはドイツだけ?

    唐辛子紋次郎さんは、 ミスタードーナツも嫌いなようですね。


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